VRサイクリング 島原半島の南半分を島原街道に沿って半島の東から南、そして西へと海岸沿いに進むの巻。前回ゴールの熊本港からフェリーで渡った島原港をスタートし、海と山を見渡す丘の上を辿る島原街道そいに南へ進み、布津、有家と宿場町の面影の残る街並みをくぐり抜け、天草・島原の乱の舞台となった原城跡に立ち寄りしばらく進むと島原半島南端の深い入江の町口之津に辿り着く。ここからは半島の西側へ回り込みつつ隣町の宿場町加津佐からはしばし内陸の山へ登り、南串山からは半島の西海岸沿いを北へ進み小浜温泉街をゴールとする61kmの行程。島原街道は島原藩主の領地検分や参勤交代のために整備された街道とされているが、驚くほど現代でも旧道が残っている。しかも海岸沿いというより海岸よりちょっと内陸側の丘の上を進み、左手に有明海と対岸の宇土半島や天草諸島を眺め、右側に雲仙の山々を望む風光明媚な田園地帯を中心に、宿場であった情緒溢れる古い街並みを通る魅惑の道筋であった。街道歩きストとしては歩いてみたい旧街道としては全国トップクラスあすかもしれないなあ。島原港を出発した初っ端には、1990年の雲仙・普賢岳の噴火で火砕流や土石流で甚大な被害をもたらした水無川を渡った。右手には噴火によってできた平成新山と呼ばれる溶岩ドームが聳え立ち、川の下流には、その名も土石流被災家屋保存公園というのがあり、いまだに災害の記憶は生々しいようだ。原城跡は有明海に突き出た要塞のような海城で元々はキリシタン大名であった有馬晴信が南蛮貿易で得た富で贅沢かつ強固に作られたもので、江戸時代初期に廃城になりその後天草・島原の乱で天草四郎率いる一揆軍が立て籠って全員が壮絶な最期を遂げた場所であるが、現在でもその石垣などそこらの城址に比べると広大でかつ立派で驚く。それが海に突き出した要塞となっている様は当時も非常に特異であったに違いない。その先口之津と隣町加津佐は一時期どちらからも天草行きのフェリーが出ていて天草の玄関口としてのポジションを競っていたが、現在は口之津からのみになっている。私は子供の頃と30代の頃、天草を訪れた時は確か2回共加津佐からフェリーに乗船した記憶がある。この2つの町は歴史的にもある種ライバル関係にあり、戦国時代は南蛮貿易の港として競い合う関係にあったが江戸時代には口之津がその立場を独占し、加津佐は宿場町として発展したという。今回最高の絶景が見られたのは加津佐の先、内陸の山に登って半島西側の海岸の斜面に出てきたところで、山の上から海に向かって広い範囲で展開する棚畑(いわゆる段々畑)。これは棚田も含めてここまでの規模と海の眺めも含めた絶景は日本でここだけの景色だと思う。ちょっと鳥肌ものの景色であった。ゴールの小浜温泉は街道沿いになかなか風情のある温泉街があるが、最も特徴的なのは全国でも屈指の熱量と湧出量を誇るエネルギーに満ち溢れた温泉であるということ。やはり活火山、雲仙の威力なのであろう。次回はその雲仙へ向かう。
2026/7/16 島原街道 1日目 島原港〜有家〜口之津〜加津佐〜小浜温泉
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