VRサイクリング もう一つの鯖街道とされる周山街道で京都の北西部の山間を潜って再度若狭湾岸の街小浜へ戻るの巻。京都御所の南西端に当たる烏丸丸太町をスタートし、まず丸太町通りを西へ進み妙心寺、ちょっと北の仁和寺を掠めて周山街道に入り高雄で神護寺の参道下まで立ち寄った後高山寺前を通りぬけ、北山杉の里小野郷、明智光秀の山城のあった周山と山間を進んでゆく。さらに進むと茅葺きの里で知られる美山、陰陽師と暦の隠れ里、名田庄とさらに山間を抜けてゆく。その先は谷を下ってゆくと小浜へ至る。小浜は市街西側の小浜西組重要伝統的建造物群保存地区をゴールとする98kmという久々の長距離。この街道も総称される幾つかの鯖街道のルートの一つだが、前回の若狭街道に比べると距離は長めで難所は多め。ただそれでもヒイコラ登るような本当の難所はなく若狭街道と同様谷から谷へ抜けるルートでその分ジグザグしたルートとなっている。山間のルートは基本的には単調で見どころには乏しいが幾つかの特色のあるロケーションには遭遇した。まず高雄は今までリアルに2度程訪れ、夏の川床、秋の紅葉も体験して馴染みのある場所で、京都郊外の秘境の地として好きな場所だ。神護寺のかわらけ投げも爽快だ。その先の街道は初めてで北山杉の風景は東山魁夷の絵で魅了されていたが、北山杉というのが単に美しい森林というだけでなく固有の伝統文化に根ざすものだと初めて知った。特定の樹齢600年とされる大杉の枝から挿木で作った苗で植林されたもので、主に茶室や数寄屋建築の用材として利用され室町時代から茶の湯文化と共に発達してきたという。街道沿いには北山杉を扱う木材屋が点在し、またそれで財を成した旧家の邸宅も見かけた。美山は白川郷のように茅葺きの家々が集まった「美山かやぶきの里」で知られる町だが、それは一山越えた先で街道沿いには残念ながらそれほど茅葺きの民家を見かけなかった。興味深かったのは福井県に入ったところの名田庄。平安時代の陰陽師安倍晴明の直系の子孫である土御門家が隠れ住んだ里で、ここで代々天文暦学やや祭祀を行ってきたという。平安時代から明治維新までここで発行された暦が全国で利用されていたらしい。現代において陰陽師と暦を脈々と受け継ぐ陰陽道宗家 天社土御門神道本庁 天社宮という見た目小さな神社がひっそりと建っている。また陰陽師と暦について展示する暦会館というのもあった。ゴールとしたのは再訪となる小浜だが、前回行かなかった市街地西側に伝統的な街並みが保存されていた。特段観光地化されずに市井の生活感がそのまま漂っている雰囲気が良かった。さて次回は中断していた丹後街道の旅を小浜から西へ続けることにする。