VRサイクリング 有名な鯖街道で若狭湾岸から京都へ入るの巻。若狭湾岸の食の町小浜を出発し、まずは丹後街道を東南東へ向かって進む。上中からは若狭街道に入るがそのまま東南東の方角をキープし谷間を進み宿場の濃い雰囲気が漂う熊川宿を越えてしばらく進んだところで、街道は方角を90度変えて南南西へ別の谷間に分け入って進む。しばらくして鄙びてはいるが由緒ありそうな山里の宿場町朽木宿。さらに谷に沿ってそのまま南南西の方角をキープしてずんずん進むとちょっとした登り道下り道の花折峠を越えて、京都郊外の有名観光地大原の里へ入る。さらに谷を下りつつ進んでゆくと街道のゴール京都市街の出町柳に到着する、79kmの行程。上記の丹後街道の一部と若狭街道を合わせていわゆる鯖街道として世に知られ、鯖などの海産物や北前船で輸送された品々が小浜から陸路で京都へ輸送される経路となる。走ってみた印象としては、有名な割には意外と景色としては地味なコースと感じたが、よく考えるとそれこそが鯖街道を特徴付ける特性のようだ。要は陸路で生ものを運ぶわけであるから少しでも早く楽なルートで輸送したいわけであるが、この鯖街道は、ブラタモリでも分析していたように、東南東に真っ直ぐ割れた谷間から南南西に真っ直ぐ割れた谷間へ乗り移ることにより、山道の多い難路ではなく楽勝な谷間の道だけで小浜から京都まで行けちゃう夢のようなルートなのである。この二つの長い谷間は同時に生じた地殻変動によってできた断層に川の流れが誘致された結果らしい。よって今回のルート全体が谷間を進むという地味な景色に終始したわけである。この楽勝パターンは走ってみると非常に印象的である。日本という国はどこからどこへ行くのも大体一山二山越えることが必然となるのが常なのだが結構遠距離の行程なのにそれがない。実際にはちょっとした峠は2つ3つあるが峠というほどの峠ではなかった。この鯖街道はモノを運んだだけでなく、都を追われた足利将軍が隠遁したり、織田信長が負け戦の逃走ルートとしたりという、歴史の1ページも刻んでいた。この谷間の地域を治めていた朽木氏という豪族は時の権力者を匿ったりなどで上手く世渡りし、なんと鎌倉時代から明治維新までずっと変わらず同じ地域を治め続けることになったという。大原は昔訪れた時と同じ印象の長閑な山間の里であったが、今回はルート設定上の問題で三千院の方面へ足を踏み入れることができなかったのは残念だった。さて三年ぶりの京都。次回は番外編として今までカバーしていなかった京都市内の名所巡りと洒落込もう。