VRサイクリング、能登半島の北から西にかけての沿岸、通称外浦をぐるっと巡る。街道はないが題して能登外浦回廊の1日目で外浦の中心都市輪島へ向かう。内浦街道の終点蛸島を出発し海岸伝いに走るとまもなく能登半島の先端に位置する禄剛崎。ここから外浦と呼ばれる山が海岸に迫る風光明媚な海岸線をずんずん進み、曽々木海岸を抜けたところで、ちょっと開けた時国家など平家の落人が暮らした平家の郷を一巡り。さらにまた海岸沿いを進み御陣乗太鼓で知られる名舟の集落、海岸沿いの有名な棚田白米の千枚田を通り抜けてしばらく走るとまもなく輪島市街。朝市通りなど市街を一巡りし輪島塗会館前をゴールとする69kmの行程。内浦の穏やかな海、リアス式海岸とは異なり、外浦は大きい波が打ちつける荒々しい海、そして奇岩や洞門が続く険しい海岸線。昔は人が住む地域ではなかったのかもしれない。だから街道も存在していなかったわけだ。平家の落人が隠れ住むには適した場所だったのだろう。能登半島地震の被害のあり方も内浦と異なり、倒壊した家屋の割合は内浦より小さく見受けられるが、海に迫った海岸段丘の壁が崩れる土砂崩れの跡がそこかしこに見られた。それにより海岸の道が復旧されていなかったのかVRのストリートビューの映像が4kmほど飛んだ場所もあった。また外浦一帯で、沖まで白い岩棚が露出するなど明らかに海岸の隆起が生じた痕跡も見られた。その結果、10年前能登旅行でも立ち寄った国内唯一の外浦の揚げ浜式塩田も廃業の危機に追い込まれているらしい。学生時代と10年前にも訪れた曽々木の国の重要文化財時国家住宅も主屋が倒壊して復旧の目処が立たないようだ。輪島のシンボルだった日本三大朝市の一つ輪島朝市も報道で広く知られたように地震後の大火で沿道の味のあった商店街が壊滅的な状況に至っている。VRではちょうど訪れた頃の10年前のストリートビューによる在りし日の懐かしい朝市を通ることができたが、時折地震後の焼け野原状態の映像が挟まれるのがショッキングであった。輪島市街全体も全壊半壊の家屋が多く、強く復興を祈願せずにはいられなかった。本来なら風光明媚な海岸風景や独自の風土を味わえたルートであったが、今回も地震災害が甚大でかつ広く展開していることで心痛む旅となった。